森の縁側カフェ

自然豊かなカフェ、ほっとする午後のコーヒータイム。そんな時、思うこと

2017年12月のブログ記事

  • 高尾山は他と違い、薬王院を1丁目とし山を下ると11丁目茶屋の様に増えるのか

    日曜日の高尾山は避けたいが、高尾山の歴史講座(ビジターセンター)で出かけた。 人、人、人で、ところが父緊急入院の連絡で下山。しかし、最短の琵琶道が雨で通行止め、リフトも長蛇の列。金毘羅道から高尾駅まで歩き新幹線切符(幸い臨時のグリーン)を手に入れた。 その歴史講座で質問したが、武甲山(下の神社が一... 続きをみる

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  • 誌上で楽しむ鉄道旅

    明日から冬の「青春18きっぷ」の旅が始まるが、今回利用できそうに無い。そこで、古い鉄道地図を見ながら楽しむ。 ①古い駅名 「機織」(奧羽本線・東能代)、織物が盛んだったのかな。 ②地名のついた駅名でも、地元の人でないと分からず、勘違いが。 五城目駅(奧羽本線)が、一日市駅(1926年)、さらに八郎... 続きをみる

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  • 八田の由来

    病室で秋田市内地図を見ていたら、八田と付く地名が気にかかった。 「はった」と読む。祖父(銀吉)の出身地が小山(現在は豊岩小山)で、隣が八田(下浜八田)。 口を開かず「おやま」より、口をひらいて「はった」の言うほうが印象に残っていた。太平八田もあって、田が多い地名かと思って調べたら、名古屋春日井にも... 続きをみる

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  • 「鋳銭座」(ちゅうぜんざ)と寛永通宝

    総社神社の近くに秋田刑務所があって、その敷地に「鋳銭座」の案内がある。 かつて寛永通宝という通貨を作っていた。院内・阿仁銅山なと鉱山に恵まれた秋田で、銅と鉛は藩内で調達して、錫だけは大阪から手に入れた。ここで作っていた「秋田川尻銭」の特徴は、寛永通宝の文字の「永」に特徴がある。他の寛永通宝と違い、... 続きをみる

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  • 巨大な戌年の絵馬(総社神社)

    父の入院から一カ月。病院近くの総社神社(秋田市)にある巨大な絵馬は、来年の戌年の絵に変った。 師走に入って、世間は来年の準備をしているのだ。 病院と実家を往復する日々なので、せいぜい昼食に出た時は散歩するようにしている。

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  • 「友子」(ともこ)は人の名前ではない

    江戸時代に秋田は鉱山で栄えた時期があった。阿仁金山(銅山)や院内銀山など。鉱山に恵まれ、さらに必要な材木(秋田杉など)は潤沢にあった。 山形との県境にある院内銀山は、最盛期に1万5千人の人口を数えた。専門職・堀大工、雑役の堀子(運搬夫)、樋水引(排水夫)が全国各地から流入して働いていた。 ここで職... 続きをみる

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  • 雪上での自動運転実験始まった、上小阿仁村

    今朝の秋田魁新報(秋田の地方紙)に、県中央の山間部・上小阿仁村で道の駅「かみこあに」から3キロでヤマハ発動機の7人乗りゴルフカートを使って自動運転実験が始まったとある。 道路に置かれた電磁誘導線をセンサーで感知して走り、9つの停留所を時速12キロで走る。自転車並みの速さ。村長は「とてもスムーズに走... 続きをみる

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  • 昼の散歩は「珍宝神社」

    父の病室から離れるのは昼食の時。今日は川尻上野町(かつては毘沙門町)にある「珍宝神社」。 珍しい石碑がある、その祀る内容が珍しいのだが。「倉稲魂神」(うかのみたまのかみ)、稲を守る神様。 この近くに藩の米倉があった。秋田の内陸の米どころから雄物川の舟運で運ばれ、ここ旭川で降ろされた。 舟から降ろし... 続きをみる

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  • 病室からの太平山

    父の病室が5階から7階に移り、窓からの風景も一変した。以前は大森山(123m)、遠くに鳥海山(2236m)が展望出来たが、今は反対の北側。男鹿半島、太平山(1170m)が見える。 病院は秋田城の西側のなだらかな高台で、江戸時代は上級武士や豪商の別荘地だった。夜な夜な接待と密談が、と「時の旅 四百年... 続きをみる

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  • 城の西側に寺町、東は沼

    寺町を散歩、ここ秋田に限らず城下町のある所では寺町という地名はよくある。地図の左の縦長の緑が寺(結構長いライン)、中程上の緑色は秋田城(久保田城)で、当時は城の右は大きな沼、長沼と呼ばれ敵方が攻め難い地形であった。 寺町は西側の防衛ラインの役割があった。 さて、この地図に掲載されている34の寺の宗... 続きをみる

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