森の縁側カフェ

自然豊かなカフェ、ほっとする午後のコーヒータイム。そんな時、思うこと

時には何も考えずに、無心で歩き続けたい。青梅駅から奥多摩駅へ


 7時35分青梅駅を出て、①桜見本園から青梅丘陵に入り、榎峠(11時7分)まで3時間半。矢倉台まで3キロは林道スグ横に山道があるので、20か所の中小のアップダウンを丁寧にあるいた。気軽な恰好で地元の人が歩いている。
 見ていたら青梅線側に下るルートの標識が7つある。8時「梅岩寺を経て市内へ」、8時10分「霧久保橋を経て森下町へ」、矢倉台(9時)を過ぎてスグ9時5分「日向和田駅」へ、9時35分「石上駅」へ、そして10時と10時8分に「二俣尾駅」への標識だ。矢倉台直前でも下れて「宮ノ平駅」に出られる、以前ここを下った事がある。丘陵の途中途中で上ってくる人がいるから、多くの人会えるのだろう。


 前回は素通りした「辛垣城」(からかい)に足を踏み入れた。450メーターで険しい。北条氏照によって1563年攻撃され落城、青梅の豪族三田氏は滅びた。
 ②11時15分平溝橋、ここから高水三山(高水山・岩茸岩山・惣岳山)にはいり御嶽駅(14時15分)へ


③御岳山を目指すが、日没の関係でケーブルカーを利用することにした。15時「滝本駅」着で15時21分発を利用、400メートルの高低差を6分で上がる。片道590円


③15時45分御岳神社、ここから16時37分大楢峠を経て海沢(うなざわ)へ、


奥多摩霊園を経て17時53分奥多摩駅に着く。10時間半

蝋梅とマンサク、福寿草が咲く宝登山

「蝋梅はまだあるかなー」なんて話して長瀞へ。野上駅から長瀞アルプス
野上峠、小鳥峠、そして497mの宝登山へ。有りました蝋梅。



山頂の蝋梅園、少し下った梅百花園の近くでは紅梅の他、マンサク、福寿草
ロープウエイーの駅の看板の字体がなつかしい感じ。


下りは古い山道、宝登山神社
上長瀞駅前に車を置いていたので、そこまで歩く。


途中、道に大きなわらじ。昔から厄病神退散を目的にした風習だそうだ。
大わらじを履くほどの大男がいると思わせるため、地区の境界に置いた。

「東京防災」の女性版が出る予定。団地で防災学習セミナー、マンションでの対策を学ぶ

 18日(日)団地で「東京防災」(2015年東京都配布、黄色)学習会が昨年に続き開かれた。その同じ日の新聞に、女性視点での防災ブックが3月1日図書館・郵便局等で配布されると報道された。
団地の郵便局で聞いたら、「50部を配布します」と。3月1日並んだら貰えそうだ。

 さて防災学習会では。講師は松原誠人(いのちを守る@プロジェクトJAPAN)さん。
「30年以内に70%の確率で発生すると予測される直下地震」、30年後ではなく明日起きるかもしれないし、そのため「今やろう防災アクション」がテーマ。とりわけ集合住宅やマンション防災対策について、参加者も考えながら学習しました。
 


前半は「東京防災」マンガを見ながら、「会社のコピー機が飛んできた」(東日本大震災)、道路が寸断される等の被災直後の様子を思い浮かべながら、「生き延びる確率をあげるため」(講師)の準備と日頃の防災訓練について学びました。
①「日常備蓄」 特別な備蓄では無く手軽に出来る、いつもの買い物の量を少し増やしていく。
②負傷者の30~50%は家具の転倒・落下。大型品の固定の必要があるが、スグ出来る家具の下にストッパーを入れるのは有効。明け方に起きた阪神大震災の経験では地震直後に倒れず、その間に逃げて生き延びれた。その後家具が転倒した例が紹介された。
③停電後に通電再開されたが、衣類や燃えやすい物が散乱していて、いわゆる「通電火災」が発生した。ブレーカーを切って避難が必要だが、安価で出来るのも出ている。
 昼に発生した東日本大震災では職場、学校など家族がバラバラだった。宮城県の例では家族3人が事前にどこの避難所に行くか事前に決めていて、同じ避難所に入ったが出会えたのは一週間後だった。千人が避難し混雑していた。「○○避難所、何時に△△の場所会おう」と言うことまで決めておく。


 地震直後の様子を見ながら、在宅避難か避難所かの判断が必要になる。マンション等では建物が大きく損壊しなくても、気をつけなければならないのは下水の配管がズレ下の階に漏れる可能性がある。最初の1~2日は簡易トイレにして様子を見る必要がある。館ケ丘団地のような大規模な所で家のトイレが使えなくなると、公衆トイレの整備が重要になると講師から指摘があった。