森の縁側カフェ

自然豊かなカフェ、ほっとする午後のコーヒータイム。そんな時、思うこと

前に富士、背に八ヶ岳。甲斐武田の里は花盛り

 


山が無い県名の山梨の韮崎で富士山と八ヶ岳を目で堪能した。4月10日(火)、この4/10は青春18きっぷの春の最終日で残(5回使えるので)があれば遠出する。今回はJR東日本駅からハイキング企画で韮崎駅からノーベル賞大村智博士のふるさと、そして勇猛果敢な武田氏の誕生地「武田八幡宮」を巡る10キロのハイク。駅からハイキングはこれで97回目になる。韮崎は有名な「七里岩」、韮崎から富士見町まで30キロの台地が続く。塩川と釜無川が合流するところが、ニラの先端のように細いところから由来したとも言われる韮崎。きれいな交流センター「ニコリ」を出発、白・紅のハナミズキの街路樹を見て、市役所近くの釜無川(急な流れで釜が流さた事から)にある武田橋に出た。富士山が霞んでいるが、雄大な姿を現している。そのまま振り返ると八ヶ岳が見えた。


さらに桜と野外彫刻が並ぶ「幸福の小道」を上ると、大村博士像が立っていて正面には富士山、そして八ヶ岳がさっきより大きく展望できる。途中で市歌なんだろと思うが、大きく流す移動販売車に出会った。
 


ここから少し歩くと、武田八幡宮(822年)がある。甲斐武田を興した武田信義が建立し、背後には白山城跡がある。武田が領土を広げる中、通信網の要の烽火は城山城・北峰烽火台であったと記されていた。ネットワークの中心地だ。


大村博士が収集物展示の美術館の横には白山温泉(日帰り・600円)、浴室から八ヶ岳が見え、横の手打ちそば屋では野菜天ぷらとざるそば(980円)、おいしかった。
 市役所まで戻り、気になった吉田うどん(昼だけ営業)に入る。冷やし肉うどん(550円)頼んだら、馬肉と半熟卵がのっていた。馬肉の煮込んだのは堅かったが、吉田うどんはがっちりしてうまい。肉体労働者が好んで食べたと聞いてたが、これは力がでそうだ。
 中央線で見える八里岩の上の観音様を見るため、河岸段丘の上へ。観音様の下には穴観音といわれるのがあるが、洞窟を通って行く。帰りは台地の上の住民が駅に抜ける近道、狭く急な階段を下りた。


 さらに韮崎から酒折駅に出て、甲州街道を甲府駅まで戻る一人道中。およそ4キロ、昔の一里。
酒折は山梨学院大学があり若者が多い。まずは甲州街道(奥多摩を経てきた道)と甲州街道の合流する三叉路まで行く、ここから戻って甲府をめざす。日本武尊(ヤマトタケル)を祀る古い神社・酒折宮に行く。ここは旧板垣村とある。板垣、そういえば板垣退助が新撰組より2日前に甲府城に入ったと記憶していたので、関連するのかと調べてみた。戦国時代は武田一族の板垣氏がこの地を治めていたとある。甲府城に板垣が入る前には、彼は乾退助と名乗っていたが「板垣」姓を名乗り始めた。彼の十何代前の祖先が、この甲府板垣から土佐に移った家系だ。この武田ゆかりの板垣が凱旋してきたとして、一挙に人心掌握が進んだらしい。次は甲斐善光寺、大きなお寺だ。甲州街道は甲府駅とは大きく離れていて、甲府柳町という歓楽街を通過する、問屋街を入り次の曲がりを少し間違えたら、ディープな小路に入る。心ひかれながら、正しい道にもどる。さらに進むと、身延道の道標がコンビニの脇にある。「南みのぶみち」と刻まれている。鰍沢(かじかさわ)をへて身延へ、さらには東海道の岩淵に抜ける。「駿州往還」とい言われるらしい。3/31に河口湖の黒岳に登る道が「鎌倉往還」だったが、今回は駿河湾への道の始まりを見た。ここで甲州街道チョコット旅が終わった。