森の縁側カフェ

自然豊かなカフェ、ほっとする午後のコーヒータイム。そんな時、思うこと

「友子」(ともこ)は人の名前ではない

江戸時代に秋田は鉱山で栄えた時期があった。阿仁金山(銅山)や院内銀山など。鉱山に恵まれ、さらに必要な材木(秋田杉など)は潤沢にあった。
山形との県境にある院内銀山は、最盛期に1万5千人の人口を数えた。専門職・堀大工、雑役の堀子(運搬夫)、樋水引(排水夫)が全国各地から流入して働いていた。
ここで職業組合の先駆けと言える組織が生まれた、「友子」(ともこ)と称した。
彼らは①落盤なとの危険②職業病「よろけ」(珪肺病・けいはい)で短命だ。
たまたまテレビ旅番組で院内駅が
出てて、鉱山で働く鉱夫で「赤ふんどし」してる人は他の人との違いは何か?と説明していた。
☛答えは、30歳越えた人が赤ふんどし。還暦祝いで赤チャンチャンコと同じだが、要するに劣悪な環境で、殆どは30歳まで生きれなかったのだ。
この「友子」は阿仁銅山では昭和30年代まであった。
①病気、ケガの助けあい②鉱山を渡り歩く時には、宿・食事の提供③技術の伝達なと
参照「時の旅 四百年 佐竹氏入部」秋田魁新報社