森の縁側カフェ

自然豊かなカフェ、ほっとする午後のコーヒータイム。そんな時、思うこと

上野原の八重山、花見とタラの芽天ぷら食す

 高尾駅発8時44分の小淵沢行に乗る。上野原駅で降りたら、桂川側にバス停が新設されていた。4月2日からだ、最近だ。新井行に乗り、大堀バス停で降りて上野原中学近くの駐車場から八重山ハイキングコースが始まる。
水越八重さんが寄附してくれた山で、八重山の由来でもある。山桜はむろん山桃、ツツジ、タチツボスミレ、春蘭などが迎えてくれた。50分位で八重山展望台に着く。快晴の天候で気持ちいい。

ここからは富士山は無論、雨降山、三ツ峠、丹沢山系、後方には陣馬山と300度もの展望が開ける。
今回は花見山行なので、食材を持って調理した。豪華だった。焼きそばがスターターで、これはオーソドックだが、太麺でいい。さてここからが、周りを通過する人がうらやむメニューが登場。山でフォンデユー、パン・トマト・ウインナー・朝揚げて持参のイカリング・ピーマン等すごい。「私たちも次やってみよう」と声を掛けてくる人も。そして会長自ら採って(前日・高尾の小下沢)タラの芽を、その場で天ぷらにする贅沢。これも評判に。


さて、食後は少し休んだらロープワーク。黒岳(河口湖)に続いて2回目。前回は急登りの際の上り下りだが、今回は急登りで救出する際のロープワークだ。「いいから力を抜いて、後ろに下がって」と会長、「怖いよう~」と救出される人、「大丈夫だから」と。


 八重山から能岳へ、そこから今回一番の急登の虎丸山に登った。 そこから朝出発した駐車場に戻った。帰りの電車は藤野、相模湖駅から下山した人が乗り込み、終点の高尾駅ホームはラッシュ並みの混雑だった。

黒岳からの富士は雲隠れ

(写真は登る途中の木々からの富士山、この時はきれいに見えた)
3月31日(土)高尾駅南口集合して8時10分河口湖へ向かう。車中からの富士山は素晴らしい、今日登る黒岳(1792m)から眺めたら最高と思い期待が膨らむ。三ツ峠入口の駐車場について、10時旧御坂峠に向かう、この道は「鎌倉往還」として、かつては駿河と甲斐を結ぶ物流、人が行き来した。新鮮さが重要な海産物も運ばれた、海の無い甲州のホタテの加工品が名物になっているが、昔からの物流が基礎にあったのかと納得。人口比で寿司屋も多いらしい。
少し雪が残っていたが、11時25分山頂。木に囲まれ展望は無い。下りは広瀬に向かい、途中から板取沢に折れて、朝の駐車場に向かうコース。肝心の富士山だが、頂上近くの展望台からは雲がかかった富士山。朝の期待はぶち壊された。残念、残念。


下りは登りより大変だった。やたら「広瀬」の案内板が多い。ロープも多くなり、急斜面と下の砂が滑りやすいい、慎重に進む。1時間ぐらいで、広瀬方向と別れ「板取沢」のコースに入る。この頃から、馬酔木の木が出てくる。ようやく、緑色が見えてきた。いままで杉、ブナ、ミズナラと灰色の世界だったので、緑は嬉しい。沢に沿って下る、渡ったり戻ったりだ。15時駐車場に着いた。


この後、太宰治ゆかりの天下茶屋へ。「富士山には月見草がよく似合う」で有名、石碑を見る。まだ富士山の上には雲が。
「天下茶屋」でリラックスタイム。ビールと甘酒を注文したが、ビールは恵比寿だ。甘酒は湯呑茶碗かなと思っていたが、何と味噌汁椀にたっぷり出て来た。新しく参加した人の、ロープワークと沢渡りの初体験の感想「そこで飛べと言われても飛べないよ」。「下りは新人にはきつかった、企画間違えたかな」というリーダー、そんなの「早めにいってよ」と新人。経験と未経験が混じり合う、ハイキングクラブ「ワイルドベリー」です。立川市在住・勤務の会員を募集しています。次回は4月8日(日)上野原 八重山で花見山行
http://wildberry.deca.jp/wd/

城と枝垂桜とカタクリ、多摩川・加住丘陵を歩く


滝山城は秋川と多摩川が合流する地にある。後に北条氏照が移った八王子城が446mの山城だが、連郭式山城といわれる160mの低めの城だ。本丸にあがり、多摩川と岸向こうの拝島を眺めると北東からは攻められにくい地形だとわかる。


高い石垣もなく、ましてや天守閣が登場する以前の典型的な中世城郭だ。大手口から天野坂を上ると、左に小宮曲輪、左に三の丸に始まり、縦・横の空堀が見える。いまでも深そうに見えるが、長年放置されていて当時は3mも下にあったらしい。20kmもの甲冑をつけて、この空堀を攻め上がるのは大変な事だ。領民を集めることが出来る千畳敷は広い、いまでも広場として使われている。桜も咲き誇り、家族やグループでの散策には手ごろだ。本丸手前には弁天池がある。ともかく横に広い。八王子城が縦に険しいのとは対照的だ。


1521年に山内上杉氏の重臣大石定重が、近くの高月城から移り築城された。北条氏照によって大幅に改修されたが、武田信玄の小田原攻めに際して2万の軍勢で攻められ、わずか2千で何とか守ったが、小仏峠を越えてきた武田勢に今の高尾駅北口の廿里(とどり)で負けた。この事から、氏照は滝山城から、より堅吾な山城の八王子城に移ったが、1590年に豊臣勢に攻められ、氏照は小田原城が降伏した際に切腹させられた。


3月25日(日)八王子の市民環境会議が主催の自然体験講座(うれしいことに無料)で、滝山城の歴史を学びながら、多摩川沿いに広がる東京一の水田の中を歩き、高月町の圓通寺のみごとな枝垂れ桜をみた。


この後高月城の入口、秋川を見ながらカタクリの群生地へ。かつての杏林大学の裏手にあるカタクリは見頃だった。