森の縁側カフェ

自然豊かなカフェ、ほっとする午後のコーヒータイム。そんな時、思うこと

大月駅から菊花山、御前山へ。桃井春蔵ってだれだ?

 9時10分快晴の大月駅に降りて、真っ直ぐ歩き突き当りで右に進み、無辺寺(浄土宗)に出た。


ここの墓から山に登るのだが、この寺は幕末の三大剣士の一人桃井春蔵の菩提寺。聞いたような名前で、新撰組かと思ったが、千葉周作などと並ぶれっきとした道場主。「位は桃井、業は千葉・・」と言われた桃井だ。時代小説に時々出てくる名前だ。
 墓から山道へ。左手に岩殿山、奥が百蔵山と緑が続く。そのうち、右手に富士山が見えた。いい眺めだ。10時14分最初の目的地菊花山(643m)に着いた。菊花山は大月の人からは、貧乏山と呼ばれたらしい。反面、日当たりのいい沢井の人からは林宝山と呼ばれ重宝されたらしい。


今日はよく登山客と会う。やはり祝日だが、我々の様に大月側からは殆どいなく、猿橋から来ている。11時32分赤松の林を見ながら、御前山(730m)に着いた。山頂からの富士山は菊花山より、いい眺め。


ちょうど10人くらいのグループが下りた後なので、頂上を独占。
最初は大月に戻る予定だったが、神楽山、そして猿橋駅に変更。年季の入った看板、味が出ている。


耳型天南星。13時猿橋駅に着いた。

他人の荷物を勝手にロック、荷物が出せない

 高尾駅南口改札を出るとSUICA専用コインロッカーがある。

荷物を4番に入れた、すでに1番に荷物を入れた人が手続きしている。その人が去って手続きしたが反応しない。おかしいと思い、確かめたら自分が入れた4番がロックされてる。念のため1番を開けたら、ロックされず紙袋が残っていた。「大変だ」
先の人が完全に閉めないで手続き、次の人が準備万端にしていた為、他人の荷物をロックしたのだ。こっちはロックされた。
朝7時半、取扱店は9時半からだ。困ったが、予定通り高尾山に向かい、山頂で連絡する。

昼にロッカー前で、新宿から来た会社の人に開けてもらったが、「カギロッカーではないが、このタイプでは時々あります」。

前に富士、背に八ヶ岳。甲斐武田の里は花盛り

 


山が無い県名の山梨の韮崎で富士山と八ヶ岳を目で堪能した。4月10日(火)、この4/10は青春18きっぷの春の最終日で残(5回使えるので)があれば遠出する。今回はJR東日本駅からハイキング企画で韮崎駅からノーベル賞大村智博士のふるさと、そして勇猛果敢な武田氏の誕生地「武田八幡宮」を巡る10キロのハイク。駅からハイキングはこれで97回目になる。韮崎は有名な「七里岩」、韮崎から富士見町まで30キロの台地が続く。塩川と釜無川が合流するところが、ニラの先端のように細いところから由来したとも言われる韮崎。きれいな交流センター「ニコリ」を出発、白・紅のハナミズキの街路樹を見て、市役所近くの釜無川(急な流れで釜が流さた事から)にある武田橋に出た。富士山が霞んでいるが、雄大な姿を現している。そのまま振り返ると八ヶ岳が見えた。


さらに桜と野外彫刻が並ぶ「幸福の小道」を上ると、大村博士像が立っていて正面には富士山、そして八ヶ岳がさっきより大きく展望できる。途中で市歌なんだろと思うが、大きく流す移動販売車に出会った。
 


ここから少し歩くと、武田八幡宮(822年)がある。甲斐武田を興した武田信義が建立し、背後には白山城跡がある。武田が領土を広げる中、通信網の要の烽火は城山城・北峰烽火台であったと記されていた。ネットワークの中心地だ。


大村博士が収集物展示の美術館の横には白山温泉(日帰り・600円)、浴室から八ヶ岳が見え、横の手打ちそば屋では野菜天ぷらとざるそば(980円)、おいしかった。
 市役所まで戻り、気になった吉田うどん(昼だけ営業)に入る。冷やし肉うどん(550円)頼んだら、馬肉と半熟卵がのっていた。馬肉の煮込んだのは堅かったが、吉田うどんはがっちりしてうまい。肉体労働者が好んで食べたと聞いてたが、これは力がでそうだ。
 中央線で見える八里岩の上の観音様を見るため、河岸段丘の上へ。観音様の下には穴観音といわれるのがあるが、洞窟を通って行く。帰りは台地の上の住民が駅に抜ける近道、狭く急な階段を下りた。


 さらに韮崎から酒折駅に出て、甲州街道を甲府駅まで戻る一人道中。およそ4キロ、昔の一里。
酒折は山梨学院大学があり若者が多い。まずは甲州街道(奥多摩を経てきた道)と甲州街道の合流する三叉路まで行く、ここから戻って甲府をめざす。日本武尊(ヤマトタケル)を祀る古い神社・酒折宮に行く。ここは旧板垣村とある。板垣、そういえば板垣退助が新撰組より2日前に甲府城に入ったと記憶していたので、関連するのかと調べてみた。戦国時代は武田一族の板垣氏がこの地を治めていたとある。甲府城に板垣が入る前には、彼は乾退助と名乗っていたが「板垣」姓を名乗り始めた。彼の十何代前の祖先が、この甲府板垣から土佐に移った家系だ。この武田ゆかりの板垣が凱旋してきたとして、一挙に人心掌握が進んだらしい。次は甲斐善光寺、大きなお寺だ。甲州街道は甲府駅とは大きく離れていて、甲府柳町という歓楽街を通過する、問屋街を入り次の曲がりを少し間違えたら、ディープな小路に入る。心ひかれながら、正しい道にもどる。さらに進むと、身延道の道標がコンビニの脇にある。「南みのぶみち」と刻まれている。鰍沢(かじかさわ)をへて身延へ、さらには東海道の岩淵に抜ける。「駿州往還」とい言われるらしい。3/31に河口湖の黒岳に登る道が「鎌倉往還」だったが、今回は駿河湾への道の始まりを見た。ここで甲州街道チョコット旅が終わった。